確証バイアスで観る都合の良い数字とは、作為的に変化させることのできる数字の事である。
作為的に変化させた数字は、客観的事実ではなく主観である。

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 個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象である。
 確証バイアスが強くなると、客観的な事実の検証や中立的な価値の判断ができなくなり、すべての情報・知識が『自分の見たい世界』に合わせて自動的に取捨選択されてしまうのである
 「自分が好きなもの・信じたいこと・慣れ親しんだ価値観(世界観)」などが固定観念としての確証バイアスを生み出し、その結果、見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞くという状況を作り出してしまう。
 人は、自分が本当だと思っていることを確かめるための情報は探すが、反証となるような証拠を無視したり、探す努力を怠ったりします。
 自分の意見やプレゼンの内容を正当化するために、同じ意見をもっている外部ソースを参照する。
 「自分は正しい」と信じられる居心地の良い場所に閉じこもり、真実から目をそらしてしまうのです。
 いったん「自分はこういう人間なんだ」と思いこむと、それに合致した情報や経験を重く見て、ますます自己認識を強めてしまうのです。

 例えば、学校が宣伝したから、偉い人が主張したから、有識者や専門家が言ったことだから、皆が言うから正しいというような判断は確証バイアスによる判断とみてよいだろう。学校、専門家、皆が主張することに作為は無いか?本当に鵜呑みにして良いのか?自分に都合のよい同調意見だからというだけで信用しているのではないか?
 専門家でも間違うことはある。
 専門家や有識者の主張であったとしても、客観的事実と照らし合わせて初めてそれが正しいと言える。
 客観的事実から目を反らした意見はたとえ有識者の意見であっても正しいとは言えないのだ。

 観測バイアスとは、観測データそのものの誤りである。
 例えば、実際に10年かかったことを3か月しかかかっていないなどとアンケートで回答する事である。
 観測バイアスが起こる主な要因は、社会評価に対する「見栄」「悪評流し」、注意力の欠如などによる「単なる言い間違い」「基準違い」である。
 例えば、学習期間の起算日や、教材の量は「基準違い」である。
 自分の出来が悪くないように見せるなどして評価を作ろうとする行為には 「難関試験に短期間で合格したかのような解答」が挙げられる。教材に書いてあった学習時間を超えた場合、出来が悪くみられる可能性があるため、ウソを回答してしまうケースがよくある。
 具体的には、教材の1巡りの対応期間が3か月だから、3か月と回答しなければ出来が悪い人だと思われるというような心理状態である。
 逆に自分の持っていない資格への妬みや、他の業界の人材から利権を奪うべくする「資格そのものが短期間で合格でき低評価とべく流す、嘘による悪評・悪口」がある。
 また、これらが多数で行われ、口裏合わせの口コミ活動、宣伝活動によって行われることにより誤認をしやすくすし、反する事実に近い意見を排斥し、言論統制的な口封じを行うことも多くみられる。
 無論、教育者や専門家などと称して正当化する行為も横行する。 こういったことから、観測バイアスが最も含めることのできない評価指標としている。